感情移入しすぎるのは病気じゃない!実はこんな素晴らしい人なんです

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小説を読んでるとき、自然と涙があふれることはありませんか。

私の妻はたまに小説を読みながらボロボロ泣いていることがあります。

急に泣き出すので、びっくりするのですが^^;

小説やドラマ、映画などの登場人物や物語の舞台に感情移入する人しすぎる人っていますよね。

あまりに感情移入しすぎるため、「病気なのかな?」って疑いたくなる人もいるようですが、全然病気じゃないですよ。

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感情移入できることはいいこと?

感情移入病気じゃない

そもそも感情移入しすぎる人って、感受性が豊かな人が多いです。

感受性は相手(小説や映画の物語や登場人物の心情)を「感じ取って受け入れること」です。

そこには共感の気持ちや相手の感情をイメージする能力も含まれます。

これは立派な才能です。決して悪いことではありません。

感受性が低く、相手に共感できない人よりよっぽど良いでしょう。

ただし先ほど書いた「感受性豊か」は良い意味ですが、少し見方を変えると「過敏」と捉えられることもあります。

感受性が過敏になると、相手に気持ちを入れ込みすぎて、自分事以上に傷ついたり、落ち込んだりします。

何事もしすぎることは良くないとういことです。

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書き手側の立場で見てみる

感情移入については、自分の問題と捉えがちですが、小説の書き手や映画監督の立場になってみると、どれぐらい感情移入させるかとうのは作品の良し悪しを決める大きなポイントとなります。

少し話は変わるのですが、みなさんはブログを書いたことがありますか?

ブログというウェブ上の媒体で、自分が言いたいことを伝えることはけっこう難しいです。

ブログを書いたことがない人に限って、「書くだけじゃだめなの?」とか、「俺ならできるけど」って言いますが、そんな簡単なものじゃなありません。

私はよくブログを書くのですが、なかなか自分が理想とするものは書けなくて、人に伝える文章の難しさを日々感じています。

これは一朝一夕にできるものではなく、武道の鍛錬のように一生身につくものではないと最近は悟ってきました。

ブログや小説でいえば、文章で表現できることがその人のすべてです。

書くこと、文章表現、打ち出す世界観、それらすべてを文字として表します。

直接人に会って話すのでれば、あの人は信用できるとか、胡散臭いとか、すぐに見抜かれる可能性がありますが、文章で書き手がどんな人かは分かりません。

たとえば作者の背が大きいか小さいか、太っているか痩せているか、おしゃれなのかそうでないのかは、文章だけでは分かりませんよね。

ですから自分を良く見せたり、誇大に伝えようと思えばいくらでもできそうですよね。

でも実際はそんなことできません。先ほども述べましたが、文章は書き手そのものです。

適当に脚色したりすると、すぐに本質を見ぬかれます。

私はあるラグビー関係者とよくメールをします。

その方はラグビー未経験者なのですが、ラグビー界発展のための尽力されています。

届くメールは、丁寧な言葉、きれいな文章かと言われればそうではありません。

ただ「ラグビーが好き」という気持ちがひしひしと伝わってきます。言葉に感情が乗っかっているからです。

文章やメールを取り上げましたが、映画でもそうですよね。

良い作品には製作者の魂や感情が乗り移り、それに私たちは感情を移入させるのです。

その理屈でいくと、旅行をしたことがなければ旅行記は書けません。

その国や観光名所から伝わってくる感動を知らないからです。

書き手側の立場になると、とにかく感情を伝えるために、そして自分の作品を知ってもらうために作者は努力しています。

感受性が低くても、作者の意図に載せられて感情移入することはあるかもしれませんね。

まとめ

感情移入しすぎることは病気なんかじゃありません。

感情移入できる人は、人の心を思いやることができる人、そう言い換えることができるかもしれません。

小説や映画ではぜひ涙を流してくださいね^^


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